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鳥なき島より

読み返したコミックスについて思うところなど

十月のつめたい空――“Freaks of the Heartland”

 トレヴァーの弟ウィルは怪物じみた容姿と力を持つがゆえに、納屋に幽閉されている。トレヴァーは両親から距離を置かれているウィルの面倒を見ていたが、ある事件がきっかけとなり、兄弟を取り巻く環境は大きく変わってしまう。それと同時に兄弟は自身が暮らすアメリカ中西部の小さな町の秘密を知ることになり……

 

 アメリカのコミック“Freaks of the Heartlandのあらすじは、大体このようなものになるだろうか。2004年1月から隔月で発表された全6号のミニシリーズで、翌2005年に単行本が、そして2012年に豪華版が刊行された(私が持っているのは豪華版)。版元のダークホースコミックスは今年創立30周年を迎えたとのことで、めでたい。

 

Freaks of the Heartland

Freaks of the Heartland

 

 ストーリーを担当したスティーブ・ナイルズはホラーコミック界では有名らしい。例えば「30デイズ・オブ・ザ・ナイト」シリーズは映画化され、コミックの邦訳も出た。が、私はどちらも未見である。というのも私が“Freaks of the Heartlandを購入した目的はグレッグ・ルースの作画にあって、そして本作を一読した際にも実際、「絵は良いけどストーリーがあっけなくてものたりない」などという感想を抱いたものだ。かすれた水彩の見事さといったらないですよ。そういう訳でグレッグ・ルースの他の作品には手を伸ばしたりしていたのだが、先日ふと本作を読み返したらこれが存外に面白かったので、とにかくそのことを書いておこうと思った次第である。

 

 物語の舞台はグリッスルウッド・ヴァレー(Gristlewood Valley)と呼ばれている。Gristleは(料理用の肉に含まれる)軟骨やすじのこと。通常は食べられない部分だそうだ。本作はそんな不毛な名前をもつ土地を見下ろすショットから始まり、続けて、日が暮れるなか、黄金色と言うにはあまりに抑制されているとでも言うべき黄褐色の草原を横切る少年の姿が描かれる。そして当時を回想する語りが進む。語り手は草原を横切る少年その人で、大人になったトレヴァー・オーウェンである。見開きで示されるこの草原の場面は、構図においても色彩においてもアンドリュー・ワイエステンペラ画「クリスティーナの世界」を彷彿とさせる。クリスティーナとは違い、トレヴァーは力強く草原を走り抜けていかにも軽々と家へ向かっているが、ふと立ち止まり、悪漢を追い詰めた正義の味方めいたセリフを口にすると、虚空に向けておもちゃの銃を撃ち(口で発砲音を叫ぶだけだが)、少し間を開けると銃を下げ、溜息をつくことになる。溜息と同時に夕焼けが彼を照らす。小さく悪態をつくと、トレヴァーは銃を捨てて、再び帰り道を進む。

 家に着いた頃にはすっかり日が暮れていて、両親は既に夕食をとっている。父親のヘンリーが酒瓶を片手にトレヴァーをなじる。母親のマリオンは控えめにヘンリーをなだめるが、うつむきがちで、ヘンリーと目を合わせることはない。夕食を済ませたトレヴァーは父親から、弟に食事を出すよう言いつけられる。

 トレヴァーは家の裏手へ行き、無数のハエがたかる肥料とおぼしき何かをバケツに入れると納屋へ向かう。納屋では弟のウィルが待っている。ウィルは鎖のついた首輪をつけられ、幽閉されているためか、皮膚は青白い。6歳にしてはあまりしゃべるのが得意ではないらしいが、身長はトレヴァー(トレヴァーは10歳前後といったところ)の2倍近くあるようだ。ほとんど毛の生えていない、巨大でいびつな頭部もウィルの特徴である。

 ウィルがバケツに手を突っ込み食事をしているかたわらで、トレヴァーはその日の出来事を語る。街まで歩いて、そこで大きなトラックを見たこと。トラックはぴかぴかの新車で、その赤色が例えようのないほど鮮烈であったこと。谷の向こう側、山を越えた先には何があるのだろうか、等々。

 その後、トレヴァーとウィルがじゃれあっていると、ヘンリーがトレヴァーを呼び戻して、物語の導入部は終わる。

 

赤と青

 この段階で気に留めておきたいことがいくつかあるのだが、その前に、本作にはアメコミとしてはとても文章が少ないという特徴があることを言っておこう。一つ一つのコマも概して大きく、頁当たりの平均コマ数は5を切るだろう。そのためもあってか安直に「ストーリーが…」などと思ったかつての私に本作の面白さをこんこんと伝えたいというのが本稿の目論見の一つである。だから、物語の内容はもちろん、場合によっては結末にさえも平然と触れることになるだろう。

 

 さて、この導入部でまず決定されるのは物語のトーンである。暗く、淡い青味がかった色調の雄弁さが素晴らしい。それは回想という形式が、そしてトレヴァーの孤独が要請したものである。トレヴァーが一人でごっこ遊びをして、我に返るまでのつかの間の幸福が夕焼けの赤とともに過ぎ去ることは、だから必然だと言えるだろう。鬱屈とした青の世界にあって、それを打ち破るのは赤なのだ。中でも最も強烈な赤は、結果としてこの物語では一度も姿を見せない、市街地を走るトラックのそれだ。「熟した林檎ではとても追いつけないほど」に輝かしい赤。何に例えればよいのかもわからないほどの鮮やかな赤。当然のことながら、ぴかぴかのトラックに限らず、本作を展開させる要素(血と火)あるいは節目となる場面(2度訪れる夕暮れ)はすべて赤を基調としている。とはいえ、実際に描かれるこれらの赤が青の世界を刷新するほどの強度をもつことは決してない。それはこの物語が回想であることに由来する。物語は既に主人公によって経験されているのだから、その世界が今更どうして揺るがされるだろうか。

 

反復――銃、墓、鍵

 トレヴァーがおもちゃの銃を捨てる、と書いたが、それがある種の幼さとの訣別であることは言を俟たないとして、本作を読み進めた読者には、それがこの後、トレヴァーが本物の銃を手に入れることの予兆でもあったことが了解される。本作では他にも繰り返し現れることで象徴としての深みを増してゆくものがある。墓と鍵だ。

 おもちゃの銃を捨てたトレヴァーは歩を進め、丘に立つ一本の木のそばを通り過ぎる。その木の根元にいくつかの投げやりと言っていいほどに簡素な墓石の一群があるのだが、トレヴァーがそれを意識することはない。この墓については後で触れることになるのでここにこれ以上は書かない。ただ、その墓とトレヴァーの家とが少なくとも隣接するような位置関係にはないことが後に明らかになるにも関わらず、墓が描写されるこの頁をめくるとトレヴァーが家に到着するという演出がなされているは書いておこう。

 季節が10月であることは語り手によって明言されているが、日が暮れたといっても遠くがぼんやりと見える程度の暗さである。到着場面は見開きで描かれ、向かって右の頁のほとんどを家が占拠している。右奥から左手前に向かって斜めに構えた家はその両脇に木の柵を巡らせ、家から5メートルと離れずに佇むトレヴァーを待ち受けている。全体がモノクロに近い色調で、少年の表情をうかがうことはできない。1階の玄関脇の窓からは灯りの存在がうかがえるが、それに外部を照らすほどの余裕はない。それどころか、かすかにあたりを照らす月光を家が遮り、少年を闇の中に囲い込んでいる。この墓から家への移行、小さな墓と大きな家(大きな、というのは少年にとってということで、2階建てのこの家が特段巨大なわけではない)の対比は、両者に何か関係があることをそれとなく匂わせ、さらに家の不穏さを強調する良い演出だと思う。さらに言ってしまえば、この家は後々、ある意味で墓そのものと化すのである。

 そうして家に入ったトレヴァーは、食卓に着き、それから納屋へ向かうのだが、この2つの動きのなかで、壁にかけられた鍵が計3コマにわたって描写される。結論から言ってしまえばそれはウィルの首輪の鍵である。鍵は隠されたものの存在を意味すると同時に、それを解放するものでもある。秘密とその解放こそがこの物語の軸となる要素であり、このあと、解放という行為は何度も繰り返されることになる。

 

 というわけで、この物語の全体像は導入部においてあらかた語られてしまっているといっても過言ではないだろう。しかしそれゆえにこの後の展開が力を失うということはなくて、繰り返しによってむしろその力を増していくのである。展開があっけないというのはある意味あたりまえのことで、というのも本作は極めて古典的な骨格を有する物語であるために、読者を驚かせる類の展開をもちようがないのだ。本作はつまるところ、通過儀礼の物語、ゆきてかえりし物語なのである。

 

予行練習

 導入のあとには予行練習が行われる。つまり、トレヴァーがウィルを一時的に開放するのだ。両親がウィルの処遇について話し合っている夜、トレヴァーはウィルの首輪を外し、2人で策に囲まれた裏庭に出る。そこで追いかけっこやおどかしっこのようなたわいのない遊びをするのだが、白み始めた空の端を見ながら2人が交わす会話を見逃すわけにはいかない。

PRetty.”

YUP.”

not RED like truck.”

NO, NOT RED”

(p.35。小文字と大文字の入り乱れたセリフがウィルによるもの)

 そして頁をめくると赤みがかったビジョンがウィルを襲い、彼は叫びながらのたうつ。首をちぎられた豚、ライフルを撃つ大人、部屋の隅にうずくまる少女のような存在――などのビジョンである。そして引き金が引かれ、倒れた少女と流れる血が映し出される。心配するトレヴァーにウィルは答える。

red. Everywhere Red.” (p.39)

 翌日、トレヴァーはこれがその時実際に起こった出来事であると知る。カーヴァー家の娘――フリークの1人――が家畜の豚の首を裂いたことで、脅威を覚えた父親が彼女を手にかけたのだった。

 

本番

 ここでいう「本番」がどのようなものであるかについて、詳しく説明する必要はないだろう。

 ヘンリーはカーヴァー家の事件を受けてウィルにライフルを向ける。トレヴァーとウィルはヘンリーを返り討ちにし家を出る。2人はあてどなく歩き、木の下の墓の一群に近づく。7つある小さな墓の1つにはウィルの名が刻まれており、掘り起こすとぬいぐるみの人形が埋められていた。全ての墓を暴くと、ウィルのそれを含めて5つの人形と、そして2つの白骨死体が現れ、それを見たトレヴァーがあることを思い出す。

 ウィルが産まれた頃、近隣で6人のフリークが産まれていたのだ。そして大人たちは墓を作り、社会的にはフリーク達を死んだことにした(2人は実際に死んだ――あるいは殺された)のである。

 トレヴァーとウィルは残る3人の元へ向かうことにした。ウィルにはなんとも都合の良いことに、他のフリークの存在を感知する能力があったのである。

 兄弟はカーヴァ―家に火を点け、大人達が火事を処理している隙に仲間を救出する。手始めにクレイグ家でフリークのロイの救出に挑んだ際、ロイの妹(姉かもしれない)、マギーが合流。クレイグ家の青いピックアップを盗んだ一行はほかの2人を順調に開放し、合計6人の逃避行が始まる。

 やがて、子供達の失踪に気が付いた大人達が追跡を始めるだろう。

 

反復――6人の背中

 この逃避行において、私たちは1頁まるまるないし3分の2頁を占める大きなコマで、3度にわたりある構図を見せられることになる。それは、6人が私たちに背を向けて、横一列に並び、景色を眺めるというものである(ついでながら、彼らはいつのまにか青いピックアップを乗り捨てている。ぴかぴかの赤色でないピックアップには、6人を乗せてそのまま現実を打ち破ることができないのだ)。

 6人が合流してそうそう、私たちはこの構図を見ることになる。まだ日は暮れていない。彼らは小高い場所から自分たちの町を見下ろしている(かすかに見える煙はカーヴァ―家の火事によって生じたものだろう)。色づいた葉を持つ木の左側(読者にとって)にマギーとトレヴァーが、木の右側に他の4人が並んでいる。木をもって、いわば常人とフリークが分断されている――と読むこともできないではない。だが、次のコマではマギーが顔を右に向け、トレヴァーを見つめている。常人とフリークの違い(だけ)ではなく、マギーとトレヴァーの持つ意味が強調されているという読みが自然だろう。

 次の並びの構図は、日が暮れて薄墨色の暗闇があたりを覆うようになった頃に現れる。この頃には大人達も彼らがいないことに気付き、フリーク達がマギーとトレヴァーをさらって逃げたのだと考えて、探索を始めている。6人はとりあえず谷の向こうの市街地を目指し、丘を登る。そして谷の向こうの町を眼下に収める。それが第2の並びの場面となる。マギーとトレヴァーは中央で手をつなぎ、その左側にウィルとロイを含めた3人が、右側に1人が佇む。6人の関係性の変化が分かりやすく示されていると言えるだろう。彼らは市街地へ行ったことがなかったが、トレヴァーは母からその様子を聞いたことがあった。「光と色にあふれていて、色々な人がいる」と。しかし、ここでトレヴァーが目にしている町は、確かに様々な光で煌々と照らされてはいるものの、色調はモノクロに近く、新鮮さや力強さといった感覚を与えるものではない。「きれいだ」と彼らは感想を述べるものの、ウィルがすぐさま言う。「あそこも同じ」と。ウィルは直感したのだ。フリークは市街地へ行ってもフリークとして扱われると。トレヴァーもウィルに共感し、うなだれる。今更戻れないのに、どうすればいいのか。大人達は今にも追いつくだろう。

 トレヴァーが想像した通り、夜が明けたころ、大人達(捜索隊の一部)が6人に追いついた。捜索隊は保安官のタッカー(Tucker)と、マギーとロイの父親を含めた5人。捜索隊のジム(Jim)が発砲しながら子供達に近づいたが、自分の子供から返り討ちにあう。保安官があとに続こうとするも、マギーとロイの父が背後から保安官を撃つ。「おれの子供に銃を向けるな」と言って。そしてやはりと言うべきか、彼はマギーに向かって「帰ろう」と話す。マギーは反発し、6人はそのまま歩を進める。大人達は彼らを引き留める言葉を他に知らず、立ち尽くす。そうして3度目の並びの場面が回想の最後を形成することになる。逆光の中、真っ黒に塗りつぶされた6人が、当てもなくどこかへと向かう。日が昇り、色が取り戻されていてもおかしくないはずだが相変わらず彩度は低く、そこに希望を見出すことは容易ではない。だが、6人の並びを見ると、マギーとロイ、トレヴァーとウィルが隣あい、残りの2人が両端につくという、いわば常人/フリークの分離が薄れた並びになっていることが分かる。そこにあるいは希望があるのかもしれない。ともかくそうしてこの回想は終わる。

 

そして現在へ

 回想が終わり、本作の最後の3頁では現在のトレヴァーの様子が描かれる。彼は50歳を超えているように見える。10月の夜に自宅でくつろぐ彼の傍らには、マギーと思しき女性がいる。何十年か前の10月の冒険を思い出したトレヴァーは、「全ては起こるべくして起こったのだ」と考える。後悔をしている様子はない。そういえば、あの冒険はただ苦いばかりの思い出ではないのだと、彼は回想の初めに述べていたではないか。それは読者にとっても同様だろう。

 

(2016/9/4追記:この記事を書いた後で、スティーブ・ナイルズの他のコミックを少々読んだ。「30デイズ・オブ・ザ・ナイト」シリーズ(マイクロマガジン社)と“Monster & Madman”(IDW)である。どの作品も、「少ないセリフ」「シンプルながらひねりのあるプロット」という特徴をもっていて、要するに面白かった)