鳥なき島より

読み返したコミックスについて思うところなど

美しい季節たち――“The River”

 誰かへ贈りたくなるような美しい本というのは確かにある。例えばアレッサンドロ・サンナのコミック“The River”(Enchanted Lion Books)がそうだ。

 

The River

The River

 

 アレッサンドロ・サンナ(Alessandro Sanna、1975~)はイタリアのイラストレーター。“The River”は、イタリア北東部の低地地方に暮らしていたサンナが見た、ポー川の風景を元にした作品であるという。秋に始まり、季節ごとに章が立てられ、夏の終わりまでの1年間における河畔の様子と人々の生活が水彩で描かれる。セリフはない。全編を通して出てくる主人公もいない。コマ割は基本的に頁を3段か4段に区切っただけで、大きな変化はなく、定点観察のように淡々と時間が流れる。そして何より、どの頁もどのコマも美しい。(内容見本としては、以下が適切だろう)

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 というだけでレビューを終えても良いだろうと思えるほどに眼福である本書はしかし、その叙情的な静けさとは裏腹に、アーティストの業の賛歌という側面を持っている。

 まず、冒頭に置かれた「秋」の章で描かれるのは洪水に翻弄される人々だ。雨の夕方に、自転車に乗った男が川沿いを行く。やがて雨が上がり、男は移動する人々や動物とすれ違う。どうやら川が氾濫したようだ。水をせき止めようとしているのか、道を修復しようとしているのか、何か作業をしている人々とも遭遇する。時には男もその作業に参加する。洪水の被害は大変なもので、一部の地域では家々の屋根から下があらかた冠水してしまった。夜が明け、日が暮れかけると再び雨が降り、さらに水位が上昇。水没した町の上空を一羽の鳥が悠々と飛んでいくのであった。

 あまりに甚大な被害、大きな災害で幕を開けた本書は、続く「冬」と「春」とで子牛の誕生や春の祝祭、あるカップルの結婚式の様子を描く。破壊と再生の帳尻を合わせようとしたかのようだ。そして最終章の「夏」へと向かう。

 夏。雷が落ち、大粒の雨が川岸に設置されたサーカスのテントを叩く。テントの近くに停められたトラックから、2人の男が1頭の虎を引っ張り出し、テントへ連れて行こうとする。夏の嵐の影響か、暴れ出した虎が逃げ出してしまう。川沿いの木立に身を潜めた虎は、偶然やってきた画家と顔を突きあわせる。カンバスを立て、木立を描いていた画家は動じずに作業を続け、やがて夜がくるとおとなしくなった虎を引き連れて家に帰った。画家は虎を描き続け、その作品群が評判を呼ぶことになる。

 川は人々の生活に豊かさをもたらす一方で、時に脅威と化す。サーカス(虎を含む)が川の隠喩であるのは明白だ。そして暴れ出した虎を画家が手懐け、作品化し、成功する。この画家の在り方は、洪水の様子をも美しく描き出したサンナ自身のそれと重なる。生活者にとってどれだけ恐ろしい光景であろうと、アーティストにとってそれは平和な「春」の陽気さと等しい美しさをもつのだ。いや、ことによるとカタストロフィというのはそれより一層美しいものであるのかもしれない(カバーに描かれた景色が、洪水に見舞われた「秋」のそれであることは示唆的である)。そのことをサンナは力強く肯定し、“The River”は実際に美しい作品になった。